バーネットニューマンを学ぶ
12月8日
先日、川村記念美術館にバーネットニューマン展を観に行きました。ここに行くのはゲルハルトリヒター展以来の4年振りでしたが、何せ都心から遠いので簡単に来ることはできず(といっても、忙しく毎日を過ごしているわけでもないんですが、気が向きにくいということです)、旅行気分になりますね。帰り道には強風のせいで電車が動かず、しかもラッシュの時間と重なってしまい、大変な思いをしました。僕はラッシュ時の電車に乗るたびに、乗客全員が性格の悪い人に見えてしまいます。電車から降りる時にも、誰も「すいません」とか「降りますー」と声を掛けることもせずに、ただ目の前の人を押し分けるだけなんて、常識的にかなり失礼だと僕は思うんですが(常識とか、失礼なんていう概念がかなり希薄な僕から見ても)、毎日ラッシュを経験していると、そういったことも面倒になっていくのでしょうか?あるいは、そういうことを暗黙の了解的に許される場として成立してしまっている?それもどうかと思うけれど……。ラッシュの電車というだけでこんな状態なんだったら、関東大震災が再び起こった日には一体どうなってしまうんでしょうか?
佐倉の駅から、送迎バスに揺られて20分。僕は抽象表現主義絵画を美術館の常設展で見たことは何度もあったんだけれど、具象や抽象が入り混じったような場だと、やはり具象の持っている物語的な要素が比較的簡単に理解しやすかったり、感情移入しやすくて、しかも作品それぞれを隣りの作品から独立させて鑑賞するといったことが難しいので、一見して素通りすることがほとんどでした。なので今回は個展形式として初めて抽象表現主義絵画だけを意識的に経験してきたわけですが、今まで持っていたドクサをようやく改めることができたと感じました。それはよく言われているような、ユダヤ教の偶像崇拝禁止だったり、神智学という神秘主義の背景を加味して理解できることなんだけれど、極東のマイノリティである僕がバーネットニューマンの作品を見て、そうした西洋の論理による理解を身体的経験として実感できる、なんてことを全く予想していなかったので、少し驚きました。僕は、抽象表現主義は頭でしか見れないと思い込んでいたのですね。本の中でカタログとして載っている小さな写真を見ているだけでは分からないわけです。その点で、個人的にとても良い展覧会でした。
話は少しずれて、最近読んだ本に、「西洋社会は宗教という社会の中で最も権威ある秩序を捨てることによって近代へと突入したわけですが、社会を秩序づけていた神がいなくなれば、当然社会の安定が危ぶまれる。だから社会の安定を得るために、西洋社会はいわば神の代理物としての「ある方向」を設定して、突き進まなければいけない。そして、そこへ向かっていく限りにおいて、社会は束の間の安定を得ることができる」、というようなことが書いてありましたが、そうした「神の代理物」は同じように、近代以降の西洋芸術においても求められて来たのではないでしょうか(ユダヤ人であるニューマンが、神の代理物として絵画を作ったとは言い切れないけれど、作品はそれを求めているようにしか感じられない)。そして、それが呪いのように機能して今もなお続いている。
一方で日本はといえば、宗教(仏教や神道)が社会の秩序を保っていたわけではなかったように思います。むしろ西洋人が日本にやって来た時に、日本文化を「野蛮だ!」と呼んだ点において、つまり西洋社会からは、日本には秩序なんて無いように見えたのでしょう。例えば、大衆浴場は男女混浴で裸だし、「子供は村の子」という言い方があるように、自分の子供が誰との間にできたのか分からないから、村の子供として扱う、なんてこともあったわけですよね。そしてそれが西洋人には秩序のない、カオスのように映った。けれど日本人の伝統的な価値観はむしろ、カオスの中に美を見出すものであり、それは現在も僕らの中にある。
ですから、それぞれの文脈で話せば、芸術のあるべき姿すら同じはずがない。西洋の場合は進歩主義思想によって、「芸術とは最先端である」という命題を初めから与えられているけれど、日本の場合は、そもそも進歩主義の概念が伝統的に存在しないし、「芸術」が西洋から輸入された明治期以降、変わる必要性がないんですね。極端に言えば、「芸術は印象派である」で止まっても良い。それはそれで問題だとは思うんだけれど、僕らはそうした世界の端にいるからこそ、呪われた西洋社会に対して、「そもそも実は、呪いになんてかかってなかったりして……」と言えるのであって、それが出来ればものすごく面白いなあ、と考えているのですが……。
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