写真集『うばたま』について 9月25日
昨年末に私家版写真集『うばたま』を発表して以来、一度5月にトークショーをやりましたが、作者である僕自身が、どこまでこの作品についての解説や言及をすべきなのか、ということをうまく判断できないまま現在にいたっています。トークショーでは、なぜこの写真を作ったのかという、本にいたるまでの個人的な動機の部分について話しましたが、それとは別に、出来上がったこの本が意味すること、そこから派生してくる話について、僕自身が語る必要があるのかということについての判断が難しいということです。もちろん、本についての感想や、考えることは人それぞれで良いのですが、ただその中には、僕の本に寄りつくすべが分からない、どう判断して良いかわかない、という人もいるはずです。僕は、そうした人に向けて話しかけてみるのも大事なことのように感じていました。
そうした折に、『うばたま』を購入された方が、丁寧なメッセージとともに感想を送ってくださりましたので、それを引用するとともに、それに対して僕の返事のようなものをTwitter上に書きました。その二つをここで引用しようと思います。
まずは、頂いたメッセージ
『この写真集で、何がずっと気になっていたのかと、改めて考えてみました。
静けさもその通りなのですが、視線、つまり「肉眼で」というところなのかなと感じました。最初に観た時に、どこかで観たことのある感じ、その感覚で多分気になる存在になっていたのだと思います。暗闇を写真に撮るというのは多少「不自然」なのだろうと思いますが、しかしそれを「自然」にやろうとされているのではないかと感じました。暗闇を写真にしたようなものはたくさんありますが、あれはいわば肉眼ではないのです。肉眼では見えないところが見え、肉眼で見える所が見えなくなり、というのが作り込まれた暗闇の表現だと思います。
しかし「うばたま」は、私が月明かりで暗闇を観たらこうだろうな、と、まさにその人の視線そのままに表わされていると思います。写真集のデザインも印象的ではありますが、肉眼で見えるところが見え、肉眼で見えないところがちゃんと見えなくなっている、そんな写真、つまり人の目のような表現がされていると感じました。
それが最初に持った感覚、つまりどこかで観た感じ、なのだと思います。』
この文章に対してのお返事のつもりで以下の内容を、Twitterに投稿しました。
『うばたま』は光ではなく、闇が主題であり、それを写真で表現することが、これまでにあったような夜の写真と違うところです。
過去に有名な写真集では石川賢治さんの写真集『月光浴』がありますが、これは月の光で見えた夜を現実よりも明るく撮影し、これまでにない視覚経験を与えるというものです。
同じくイギリスの写真家Darren ALMONDも月の光で撮影し、それを現実よりも明るいプリントに仕上げます。写真というのは白から黒までの諧調の再現であり、その幅をなるべく大きく使った方が「写真」として綺麗に見えるのは事実です。
しかし、光ではなく、暗闇を主題にした僕の写真は、僕が現実に経験した風景を再現しようと試みたので、白から黒までの諧調の一部分しか使わずにプリントを作っています。その結果、従来の写真にはなかったものになったと思っています。よく僕の写真が絵のようだと言われるのは、そのせいかも知れません。
ちなみに、頂いたメッセージ文中での、「どこかで見た感じ」という感覚は、過去に実際に見たという意味ではありません。僕たちが個人ではなく、人間という集合として持っているような無意識の記憶のようなものです。そこへとつながっていく感覚をもたらすというのは、この写真集のテーマの一つです。』
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