「月も雲間のなきは嫌にて候」とは、15世紀の侘び茶の始祖である村田珠光が残した言葉である。月が雲に隠れてよく見えない時、月を見たいという気持ちは、煌々と輝く月のイメージを頭の中に浮かび上がらせる。その月こそが何よりも美しい、という意味だと私は理解している。仏教思想が支えてきた日本の芸術も、我々の見ることができない「あの世」の表現の歴史と言えるだろう。

21世紀を生きる私たちが、科学が未発達だった頃の人間の世界観を想像することは非常に困難である。それは三途の川の向こう岸にあるように遠く感じられ、神は何度死ねばいいのか分からない。しかし、私は宗教の熱心な信奉者ではないにもかかわらず、目に見えない存在を心に思い描くことが得意だ。私はいま、現代の科学技術である写真を使って、その知覚を辿ろうとする。


                                          ー隼田大輔