TRANS ARTS TOKYO 2015


この展示で僕に与えられた場所は、廃ビル屋上の物干し場だった。そこは屋根もなく、秋晴れの日光や秋台風にさらされる場所だ。
長い間使われた後に放置された空間。錆びで覆われたテーブルやワイヤーは本来の機能を完全に失った、もはやオブジェとして僕の目に映った。こんな場所に写真を置いておくと、すぐに劣化していくだろうなと思った時、僕は2011年の東日本大震災にあたって、被災地の路上で見つけた写真アルバムを思い出した。津波によって写真表面の膜が剥がれ落ち、何が写されていたのかもよく分からない、その目的と機能を失ってしまった写真。ここで告白すると、僕にはその劣化して抽象画のようになってしまった写真がとても、かなり魅力的に見えた。
人間は朽ちた物に美を感じる生き物だ。錆びて使えないテーブルは美しく、捨てられた扉もまた美しい。そして僕は、津波で流され、何が写っていたのかよく分からない写真にさえも美を感じてしまった。
ここで展示する東日本大震災で撮影した風景写真は、強い日光と雨にさらされた結果、どのような姿を見せてくれるだろうか。

                                                 - 隼田大輔